生きるヒント

考えているよりも まずは やってみる

 信じられない話ですが、 今 ミシンをかけて 自分で 服を作っています。

・・と言っても ほとんど 「洋裁の先生」に縫っていただいているようなものですが・・・。

 家庭科が苦手で 先生がチェックに回ってくる頃を見計らって場所を移動し 逃げ回っていた学生時代を思えば、こんなことをしていることが 本当に 奇跡です。

 洋裁の才能がまったくないのに、誤魔化して(みんながよくやるように)家族にやってもらうことはイヤだったので、家庭科の評価は良くありませんでした。

ミシンを使えば、下糸が絡まり布地にへばりついて凄いことになってしまったり、切ってはいけないところで不用心に布地を裁断してしまい、どうすることもできない状況に泣いたこともしばしば・・・。

 子どもの座布団を縫ったのを最後に ミシンは封印していたのですが・・。

私の洋裁の先生は 誰からも洋裁を教えていただいた経験がありません。

 しかし、その才能は 本当に天才じゃないかと思えるほど 素人の私でも 深く感心するほどです。

身につける洋服、礼服、バッグ、クッション、ランチョンマット、最高に可愛いテディーベアーなどなど・・・全部 手作りです。

業者やブティックの方々が、先生の「特別な型紙」を売って欲しい、洋服を販売させて欲しい、「テディーベアー」を分けて欲しい・・・と凄いアプローチを片っ端から断り続けているそうです。

 オリジナルブランドを立ち上げて、今すぐ会社だってできそうなのですが、敢えて お断りしているそうです。

理由は 今の生活を 優先したいからだそうです。

 実は 妹さんも同じように(お姉さんから教えてもらい)洋服を作っていますが、お二人でヨガのクラスに現れるたびに ため息が出ちゃうのです・・・。

どれもが、世界でたったひとつの素晴らしい作品です。

 その姿を目にするたびに 心の底から惹かれて習いに行きたいと思いながら 苦手な洋裁やミシンかけをしなければいけないことがどうしてもクリアーできなくて 一年あまり 決心が付きませんでした。

 きっかけは クラスではく ヨガパンツが自分の体型に合うものがなくなってきたからです。

 日本では 自分の身体に合う洋服が手に入りにくいのです。

既製品では結局どこかで妥協しなければなりません。

 切羽詰まってもいましたが、お二人が身につけている品々が大変魅力的だったので、ぜひ教えていただこうと思いました。

 洋裁の才能が全くないのだから 頭を空っぽにして すべて 最初から教えていただくつもりで お願いすることにしました。

 そういうことを充分に理解して下さって、先生は最初すべて 私に見せながら 全部の工程をやって一枚のパンツを仕上げてくれました。

なんて ラッキーな・・・。

 その後は自分で好みの布地を選び、今度は私がミシンをかける場面も増えてきましたが、とても スムーズです。

 「慣れてくれば、30分で出来ちゃいますよ」

と 最初から聞いていましたが なるほど そうかもしれないと思えるほどシンプルな作業です。

 今日作った柄物のパンツをはいてみせると・・・

「・・・いいんだけど、なんか 疎開にいくときのような・・・アレなんだっけ???」

「もんぺ?」

と、子どもには笑われましたが でも 大満足です。

 始める前にあれこれと 思い煩っていましたが、 一生懸命に集中してやってみることで 必ず結果がついてくるものだとこの経験を通して またよくわかりました。

 考えているだけじゃ だめなんですね。

 一歩踏み出すことで 何かが見えてきます。

そこで何かに気がついたら、出来る範囲で修正していけば いいんです。

 変わろうと思えば、いつだって 変われます。

私にも出来たのです、聡明なみなさんでしたら わけなくできますよ。

 みなさんも 何かに取り組もうとして なかなか 先にいけないことがあるかもしれませんが、とにかく考えているよりも まずは やってみることですよ。

 すべて完璧にしてから始めようなんて思わないで、必要な準備ができたら 始めてみてください。

きっと 今よりもっと 豊かな気持ちになれます。

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傷ついても乗り越え、もっと先に目を向ける

 自分では、誠実に生きていると思っていても、世の中には色んな人がいるので、みんながみんな 好意的に見てくれる人ばかりではありません。

その人のしぐさや態度がどうも気にくわない、面白くない、いやだと思うことがあるかもしれません。

 そういう相手から意地悪をされたり、あからさまに敵意を向けられたり、無視されたり、攻撃されることもあるかもしれません。

職場の人間関係で悩んでいる人が本当に多いことに驚かされます。

 かつての私も、いろんな評価を受けて その言葉や態度にひどく傷ついたひとりでした。

言葉って、残りますからね。

そういう忘れたい言葉ほど、こころの中で何度もリフレインしてしまうんです。

 苦しいのに、どうやってそういう心に生まれたイヤな気持ちを消化していけばいいのか その頃は方法がよくわかりませんでした。

不甲斐ない自分を責めて自己嫌悪に陥ったり、被害者意識を持って自分を哀れんでみたり・・・と、今思えば無駄に時間を費やしていました。

 今ならば、その方法のいくつかを 人に提示してあげることもできるようになりました。

人は、変われるんです。

 何歳になっても。


 人は幸せなときには 助けはいりません。

困難なときにこそ、助けが必要なのです。

 しかし、悲しいかな 人は最も助けが必要なときに 見捨てられます。

それを悲観して 人は自らの命を絶ってしまうのかもしれません。

 ちいさな励ましの言葉でも、その人の渇いた心を潤す雨にもなります。

失望や悲哀で占められていた暗闇が、ひとすじの光で照らされていくのです。

 たとえどんなに傷つけられたと思っても、それを乗り越え、もっと先にあるあなたの本来の夢や希望に目を向けてください。

そこから、目をそらさないでください。

辛ければ、目をつむっていてもいい。

 
 昔、とても辛かったとき・・・どこからか こんな声が聞こえてきました。

私を見ていなさい。

それは空から聞こえてき(たように感じ)ました。

 
 ・・・・私は今でもよく 空を見あげます。

全てを包み込んで、いつでも受け入れてくれるから。

空から降りてくるたくさんのエネルギーボールが 疲れた心を キレイに洗い流してくれるから。

そして失いそうな希望や夢や勇気を再び与えてくれます。

 誰かが、見まもっていてくれるような そんな安心感をしっかりと感じることができるからです。

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茶碗はすでに割れている

仏教で、こんな言葉があります。

「茶碗はすでに割れていると思いなさい」

いつかは茶碗は割れる運命にある。

それまでの間、あなたを楽しませてくれたことに感謝しましょう。

 大切なものなのに(自分が・あの人が)壊してしまった、大事なものをなくしてしまった、

・・・と、悲しむのではなく 今 あるうちに 充分にそれを愛おしんでいきましょう。

茶碗は遅かれ早かれ 割れるものなのです。

 いつか別れの日が来ても、それを受け入れられるように、 今、充分に大事にすることです。

命も同じ。

いつかは かならず 終わりが来る。

 だから 今、命いっぱい 輝かせて 生きていきましょう。

今月のレイキお茶会は 28日土曜日 午後4時からです。

参加を希望される方は お早めにご連絡ください。 

 

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僕、もう 疲れちゃったよ・・・・

あるお子さんのお話。

 お母さんはお子さんのためにと思い、小さいいうちから学習塾に入れていたそうです。

 その時に書いた作文を今でも大切に取っているそうですが・・・

「お母さん、おいしいパンをいつも作ってくれてありがとう。

お母さん、おいしいご飯を作ってくれてありがとう。

お母さん、身の回りのことをしてくれてありがとう。

お母さん、僕の欲しいものをいつも買ってくれてありがとう。

(・・・・いろいろと、感謝の言葉がつづれれているそうです。)

 でも、お母さん、ぼく、なんだかつかれちゃったよ。」


・・・・・・お母さんは最後のこの一文を読んで号泣したそうです。

 自分が子どものためによかれと思ってしてきたことだったけれど、

こんなに子どもを苦しめていたのかと、愕然となったそうです。

 いつの間にか、自分の小さな枠に子どもをはめ込んでいたのではないか・・・。

 
 それを聞いて、自分にも思い当たるところがありました。

・・・私自身がそういう人間でした。

 自分がしてきたことは、子どもには当たり前にさせようと圧(プレッシャー)をかけていたことがありました。

 私にとっては、なにかを獲得するためには「努力する」のは当たり前なことだけれど、

そうしない、できない、やろうとしない子どもを目の当たりにすると、

情けない、不満、驚き、怒りの感情がわき上がってきて、それがかえって子どもを萎えさせてしまったのです。

 何ごとも「楽しくやりたい」という子どもの感性を、握りつぶしてきたのではないか・・・。

その根底には、「自分は正しいことをしている」という思いこみがあったように思います。

自分が正しくて、子どもは間違っている。だから私が教えなければならないと使命のようなものを振りかざしてしまってきたのではないか。

私は、本当にまちがっていました。

 私は私が正しいと思うことを、私の中で行っていけばいいのであって、

子どものことは、子どもに任せればいいのだということ

子ども自身に委ねればいいのだということが、数年前にようやくわかりました。

 子どもへの執着がとれて、自分自身も解放されました。


 この「自分が正しい」という思いは、今世界中の紛争の原因になってはいないでしょうか?

イスラエルの問題も、とても人ごととは思えません。

 多くの尊いいのちが これ以上奪われないように しなければいけません。

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執着しない

 いいのか悪いのか、最近 執着がなくなりました。

 ずっと大事にしていた ガラスの花びんを家族が割ってしまっても、

ずっと貸しているんだけど 返ってこない本も、もう誰の手にあるのかも分からなくなっていて・・・、

ポケットに入れていたお気に入りの宝石は、どうやら落としてしまったようでも・・・、

オシャレしてるステキな女性を見て、そう言えば、最近私・・・スポーツウェアばっかりだなぁと思いながらも、

 なぜか、怒りや、焦りがなくなっています。

充分に満たされている、と心から感じている自分がいます。

 ずっと来ていた生徒さんが、ぱったり来なくなってしまうとき、

以前だったら、私のなにがいけないのだろうと 真剣に考えてひたすら悩むこともあったと思うけれど、今は、すんなり流せるようになっています。

私のヨガが合う人もいれば、そうでない人も当然います。

 No! と言われること、拒否されることは、これからもたくさんあるでしょう。

 でも、いつも誠実に精いっぱいやって、結果に執着しないようにしていたら とっても 楽になってきました。

 目が回るほど忙しくても、満足させることができずに これっきりの関係に終わることもあるでしょう。

なにを選ぶかは、その人の問題や、選択であって 私の範疇ではないのだから、私が悩む必要はない。

そう思えたら、とっても 楽に生きられるようになってきました。

 ただ、この頃 密かに喜んでいることがあります。

今までどちらかというとあまり表情を変えない方が、私に向かって 自分から笑顔で挨拶をしてくださるようになったことです。

その方の中に、何かが芽生えたようで、とっても嬉しくなっています。

少し距離をおきながらも、変化を見守っていきたいなと思っています。

執着せずに・・・。


 

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まずは、自分が幸せになる

「柊さんにとって、人生で大事な目的とはなんでしょうか?」

昨日、クライアントさんからそんなことを質問されました。

私は一瞬言葉に窮しましたが、

「幸せになることだと思います」

と、答えました。

それは、まず自分が幸せになること。
そして、家族を幸せにすること。

 自分とつながっているあらゆる人が幸せになれるように、お手伝いをすること・・・それが、私の人生で大きな意味をもっています。


 ヨガのレッスンには身体に不安を感じて、それをヨガをすることで解消したいと来る方がいます。

ストレスを受けると、気持ちもどんどん落ち込んでいきます。

 しかしたとえ一時でも 身体に気持ちのよいことをしてあげると、心も元気になっていくのです。

たくさんの、からだにとっての気持ちよさが、萎えて頑なになった心をやさしくときほぐしてくれるのです。

 ストレスで相当まいってるなぁと思える人でも、ヨガが終わった後はその人の中を爽やかな風が吹いているようにすがすがしい顔をしていることがあります。

 以前カナダで、私が尊敬するヨーガのマスターから

「ヨガに来る、すべての人を満足させようと思う必要はない」
と言われたことがあります。

「その半分の人を満足させてあげられればいいよ」
と、教えられました。

私の場合は、ヨーガのクラスをしたり、レイキヒーリングを教えたり、定期的に中学生にストレス解消の話をしたりすることがありますが、
「あー、今日はこのクラスに来てよかったな」
「今日、この人から、この話が聞けてよかった」

と、その中のたったひとりでもいいから、そんな風に思ってもらえたら嬉しく思います。

私は、マスターと比べたらまだまだひよこちゃんなので、一人で充分です。

そのひとに、幸せの種をまけたなら・・・。

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